
学校の教育課程の中のどこで実施したらよいかという意見があります。それに対する回答として考えられるものを幾つか書き出してみます。
(1)教科の中で関連のありそうなところをピックアップして意図的に授業をやる。
(2)教科の中で関連のありそうなところに環境教育教材を盛り込む。
(3)または、現在の教育課程は過密で、これ以上新しいものを盛り込む余裕は全くなく、新しい教科として誕生しなければ実施不可能であると、あきらめてしまう。
ところで、環境教育の授業とはこのような考え方のものなのでしょうか。
「何をやるか」、「何を盛り込むか」が大事なのではなく、環境教育のもとにある考え方・理念が大事なのではないでしょうか。
また、実施不可能とやめてしまった場合、なぜ不可能と考えたのか。その人の考えている環境教育はどのようなものであったかが問題です。
オゾン層の破壊や熱帯雨林の減少の事を知っていたとしても、心の成長がなかったならば環境教育で目指す人間になったとは言えません。たとえ、このようなことを全く知らなかったとしても人に対する思いやりや自主的態度、物事に感動する心を備えているほうが環境教育が目指す人間であると言えるのではないでしょうか。心の成長があれば種々の問題に遭遇したときにも、そのことを自分のこととして受け止め解決するための行動をとることができます。ですから、子供の時代は環境教育の基礎ともいえる心を成長させる時であると思います。
3−2−2 授業改善
参加体験型の環境教育プログラムを実施した場合、個人個人では次のような「心の動き」や「行動」があると思われます。
a. 気づき、感動がある
b. 意志決定をする
c. 自己表現をする
d. 自己の価値観を知る
e. 価値観の違いに触れ、他者を受容する
逆に見ると、以上のような「心の動き」や「行動」を引き起こさせる学習が参加体験型環境教育プログラムともいえます。例えば、「b.意志決定をする」ですが、授業中に全員が意志決定しているかというと意外にできていないのではないでしょうか。数名はできているかも知れませんが全員ではなく、しかも教師の意図した「意志決定」だったりしていることが多いものです。大切なことは、確実に「意志決定」する場と時間を与えてあげることであり、「意志決定」してもいいと言う決定権を与えてあげる授業にすることです。
今までの授業に不足していたものは理論と授業とを結び付ける具体的な手法だと思います。参加体験型の環境教育プログラムはこれに答える十分な要素を備えています。
文献
1)文部省:環境教育指導資料 小学校編(1992)
2)津村俊充・山口真人編:人間関係トレーニングー私を育てる教育への人間学的アプローチー、ナカニシヤ出版(1992)
3)日本青年会議所:人。まち・地球いきいきハンドブック 環境ファシリテーター養成ガイド(1995)
4)身近な水環境研究会編:都市の中に生きた水辺を、第11章. 水辺の環境教育、pp.239−253(1996)
5)津村俊充・星野欣生:Creative Human Relations、プレスタイム・行動科学実践研究会(1996)
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